売りそこなった記事(2019/08)

また、売り損なった記事があったので、こっちに記載します。退職した理由を、というテーマで書いた記事で、2700文字目標だったので書いたのですが、後でよく見たら購入条件が厳しく、私は該当してませんでした。安い単価だった、どっちでもよかったのですが、せっかくなので公表します。

私の退職理由

私は、バブル真っ盛りの時代に、地方の国立大学の工学部を卒業し、新卒で地元の大手電機メーカーの子会社 に入社しました。当時、東京の本社は採用に苦労しており、地方の優秀な学生を地方の子会社に採用させており、 本社で研修を受けた際には、同じような子会社の同期がたくさんいました。

しかし、バブル後の失われた20年で、地方の子会社は縮小され、私の職場に半導体設計子会社の分室に代わり、 私自身は事務を担当するため横浜の本社に移ることになりました。一般的には地方支店から本社に移るのは 栄転なのでしょうが、私にとってはそれまで技術者としてやっていたのに、なれない事務の仕事に移る訳ですから 複雑な思いを感じていました。

そして、移った職場は、その仕事は誰々さんが長年やっているから、他の人は全く知らない、という環境で、 各個人の能力も低い。さらに、職場を仕切っていたベテラン社員が辞めたばかりで、混乱した状態でした。 それに拍車をかけたのが新任の部長。この人との関係は、退職するまで改善しませんでした。

部長からは、新任の課長も含めて職場の全員が毎日のように怒鳴られ、毎日夜9時過ぎまで残業しないと仕事が 終わらない、というブラックな環境が一年近く続いたので、これは本社への栄転ではなく、ブラックな職場に 送られたのだ感じていました。

当初、最も時間がかかっていたのは、レンタル費用の集計とその経理処理。レンタルしているのはパソコンや 測定器、サーバーなどで、1000件近い数になります。さらに、レンタルは、月の途中で開始したり、終了する ことが多く、物品管理のシステムの登録とレンタル会社からの請求が一致しません。これが合わないと費用の付け替え処理ができないので、最後は経理部門の担当者も参加してチェックしていました。

しかし、これが問題だったのは、見積書と請求書をいちいち人が目でチェックしていたからでした。さらに、 紙の見積書は、当時の担当者の問題もあったのですが、紛失も多く、再発行してもらい確認できたこともよく ありました。これは、Excelのマクロを使ったり、PDFにしてファイル名で管理すれば、作業効率が大幅に改善
できると考えられます。

他にも、Excelを使っているものの、画面を目で見てチェックしている仕事が多数あり、それらも改善できそう だと感じました。

なお私は、元の職場ではITエンジニアのような仕事を担当しており、プログラムはもちろん、データベースや ExcelのVBAを使った経験もありました。そこでその技術を活かして、時間のかかる事務仕事をやりながら、 少しずつ改善していきました。

さらに今思えば、大企業の子会社でけあって、本社の進んだITシステムを利用できたのも作業効率アップに 効果的だったと思っています。そのおかげで、事務の職場に移ってから5年で毎日定時で帰れるようになり ました。

しかし、部長は事務部門にも結果を求めており、以前と同じことしかできてない職場メンバーに不満を持って いました。私も、管理職の仕事の一部を任されていたのですが、技術者の考え方から脱却できず、管理職と して考えるよう、何度も怒鳴られる日々が続きました。

ある打ち合わせでは、この文章の意図は何かと聞かれ、正直に答えたところ「あんた、バカなの?」とまで 言われる始末。どうやら、部長が考えているそのままのことを言わないと、何を言っても許してもらえない ようでした。

そのため、当初引き継いだ事務作業は簡単にできるようになり、仕事自体は面白いと感じていたのでが この部長の下では仕事を続けられない、という思いを強くしていました。

そして、リーマンショックから続く不況の影響で本社の事業部は分社化され、さらに大規模なリストラが 実施されました。このリストラでは、40才台以降の社員を中心に、グループ全体で3割もの方が辞めています。

当時の職場には、私を含めて全員が40台以降であり、しかも、主力製品を開発する部隊でもなく、ただの 事務部門だったことから、真っ先にリストラの対象になりました。そのせいか、部長が怒鳴る声も、 「このままだったら、会社に残れないぞ」といった内容に変わっていました。

さらに、この職場にいた6年の間に上司に当たる3人の課長が退職したのですが、最初の方は定年でしたが、 他の2人は部長の言葉で精神的に耐えられなくなり、辞めています。なお、辞めた2人の方は、自分から他の人 を引っ張っていくタイプではなく、実務をしっかりやる方、という印象だったので事務には向いていると 思うのですが、課長としては不十分だったのかもしれません。

リストラが続く独特の雰囲気が職場を包み、部長の怒鳴り声にうんざりしていた時期に、大規模なリストが 発表され、退職金の上乗せがある、ということで、私もこの機会に退職を決意しました。

なお、当時の職場の半数が退職することになり、人がいないことから私の仕事は、前の年にリストラで辞めた 課長の代わりに移ってきた新任の課長に引き継ぎしました。あいにくその課長は、ExcelなどのITに詳しい方 ではありませんでした。そのため、私が作ったExcelのマクロを見て、「こんなアクロバットみたいな処理は 使えそうにない」と言っていたのが印象に残っています。

当時の会社は、リストラが何度も実施され、新規の採用も縮小されていたことから人員不足で、職場には後輩 がいませんでした。そのため、苦労してExcelで簡単に処理できるようにしたのに、それを会社に残る誰かに 引き継げなかったのが心残りでした。

部長との関係は最後まで改善できず、なおざりな退職面接で会ったのが最後で、とにかく悪い印象しか ありません。しかし、多くのスキルを学ぶ機会を作ってくれら前の職場は、面白かったというのが正直な 印象です。そして、その職場で磨いたスキルは、転職した次の職場でも活かせました。

さらに、前の職場を辞める際に気になっていた引継ぎですが、新しい職場では部下を指導する立場になり、 その一環として自分のExcelのスキルを教えています。そしてその後輩は、私が教えたExcelのスキルを 利用して、これまで時間がかかってできなかった集計表作成にチャレンジしていました。きっと、さらに 他にも新しいスキルを習得して仕事に活用してくれると期待しています。

退職したとはいえ、仕事のやり方は状況に合わせていくらでも改善できること、さらにその方法を周囲の人を 使ってもらうことで職場の雰囲気も大きく変わることが学べた点で、あのような部長に怒鳴られながら仕事 した経験は無駄ではなかったと、今になって感じられるようになりました。